文章を書かねばなぁ

ブログを開設してから2年が経ちました。なのに書いたページというのは1つだけ…開設した日に書いた、自分の活動してきた記録のページだけ。。

私は非常に活字とやらが苦手なのです。読むことは勿論、書くのも然り。本を開けば最初の数ページで混乱して、またページを遡って読み返す、の繰り返しなので一向前に進めません。繰り返している途中に飽きちゃったりもします。母親は所謂本の虫で、我が家には大量の本で溢れかえっているのですが(主に村上春樹さん、京極夏彦さん、夢野久作さん、後は遠野物語人間失格など名作と呼ばれる本は一通りある気がする)、その血は受け継がれませんでした。お酒の強さはしっかり遺伝したのですが、。

大学生、そして文学部の生徒なのですから、レポートを書く機会は沢山ありました。今読み返しても支離滅裂な文章ばかりで、よく単位もらえたなと大学の優しさに感謝しているばかりです。

 

今は苦手意識から、必要最低限の読み書きしか行っておりません。SNSも、写真がメインなinstagramは気軽に更新できるのですか、TwitterFacebookは、投稿するのにとっても時間がかかってしまいます。

 

小中の時は、嫌でも書くこと読むことを学ばなければなりませんでしたから、懸命に取り組んでおりました。文字を見ていると身震いするんですよ、一文字一文字は認識できても、それを意味として捉えようとすると、頭がムズムズしてくるのです。でも、私生活はボケボケでも、当時学力だけはプライドを持っていたので、そして成績が少しでも落ちたら、芸能の活動を辞めさせられる恐怖から、テスト前は殆ど寝ずに死ぬ気で勉強をし、学校では成績1位2位を保っておりました。(アノ頃のストイックさ、今はどこ行っちゃったのかな)

 

そんなこんなで、地頭とっても悪いのに、学校の成績だけはよく、偏差値68の進学校に入学してしまいました。もう日々辛いのなんの!あっという間に置いてけぼりになりました。今は学びたい意欲マックスな英語は、当時あまりの出来なさに先生から目をつけられ、英語の先生と廊下ですれ違うたびに、「た〜な〜べ〜さ〜〜〜ん?この前のテストのことですが〜?」と呼び止められていました。数学もだめ、テスト前は数学が大の得意だった友人の家に1日お邪魔し、つきっきりで教えてもらっていました。(今でもその友達は月1で飲みに行く、所謂親友と呼べる人です)

成績は総合的に、下から数えてすぐのとこにいました。落ちぶれたものです。

 

しかし不思議なことに、1番成績が高かった科目は、地理学と、音楽、あとは現代文だったのです。驚きました。地理と音楽は完全に趣味です、地図を見てるだけでワクワクする。音楽はリコーダーのテストにて、10曲中2曲を披露して合格貰えればよかったものの、私は全曲コンプリートし全てSを…!演奏することが大好きなのです。

 

しかしながら苦手意識マックスの国語が何故急にできるようになったのでしょう。

それは現代文の先生が私にとってのレジェンドだったのです…。

先生は、1年生の頃の授業において

「対話」「自己認識」について教えてくださいました。自分がいて、他者がいて、自分はこういう人間だ、と主張をするだけじゃそれは自己ではない。そこに他者が介入し、あなたはこういう人間だ、と定義してもらい、それで初めて自己認識できる。(中略)もし自分の中だけで対話をしていたら、それは否定的な自己認識を生成してしまう。(自律神経失調症とか、鬱病とかまさにね、)

この事を、「こころ」や「羅生門」「山月記」を呼んで、さらに生徒どうしで討論する授業を設けて、教えて下さったのです。

討論することで、自分の主張の是非が他者によってわかるし、

そもそも「こころ」や「羅生門」、「山月記」はまさに「自己認識」を理解する上でとってもぴったりなお話なんです。(発狂して虎になっちゃうでしょ、山月記の中で。まさに独りよがりの自己認識をしちゃったわけです)

 

1年を通じて、先生の授業のやり方、中身に感動しました。自分自身人と対話する事が苦手で、他者に否定される位なら発言したくないという考え方を持っていました。そして発言しないとなると、別に自分の考えを持っている必要もないのですから、考えることも放棄してしまっていました。しかし1番怖いのは、対話せずに、自分の中で発言し、自己否定してしまう事。

単純に教科書に載っている「こころ」などの文章を読み解説をもらう授業ではない、

現代文という授業の根本から教えてくれた先生との出会いは、すっごく大きかったです。

 

 

 

今日はここまで、続きはまた後日

久しぶりに文章を書いたら疲れました